+miniusagi52さまの
明日 晴れるといいなより「
信頼関係とは?」
+EF8SiRさまの
ごーいんぐ・まいうぇいより「
大切なこと」
+98765421さまの
28考 -紙人ニッパチ号with鰹人28号、二重発酵中-より「
信じる」
なんだか、今の自分には、どれもがとっても痛い話だなぁ、と思いつつ読ませていただきました。
信じるって、難しいです。
信じてもらうことは、もっと難しいです。
いっそのこと、
誰にも信じてもらえないかわりに
誰も何も信じない人生の方が、
マシなのかもしれない。
たまにふっとそう思ってしまいます。
本当に自分だけが悪いのか、
自分でも、もうわかりません。
けど、責められたら、
貴方が信じれないようなことをするから、
と言われたら、
やっぱり私が悪いのかなぁ、
と思ってしまいます。
以下、愚痴っぽい話です。(注:荒れてます)
今の恋人と付き合いだしてから、いつも「君の言うこと、信じられない」といわれ続けてきた。理由を聞いても、これといって具体的な何かの理由があるわけではなく、「真実味がない」、「本気に聞こえない」、「本気に見えない」という理由だそうだ。それって自分の主観じゃないのか?最初はそれでも、わかってもらおう、伝えようと思って必死になっていた。相手が理解できる形で伝えようと必死になればなるほど、相手は私の本心からはどんどん遠ざかっていった。自分の恋人に面と向かって「信じられない、真実味がない、本気に聞こえない」と言われたら、いくら強がりな私でも凹むさ。
「真実味」って何?「本気に見えない」って何?それって規格サイズなの?何が真実かなんて、何がリアリティあるかなんて、人それぞれじゃないの?私が「本気で言ってるんだよ」ってそこまで言っても「信じられない」の一点張り。
そのうち、問題なのは自分自身だけじゃなくて、相手の物の見方が大きいのだとわかった。相手は「信じられない」んじゃなくて、自分の中にあるモノサシに合わないから、信じる気がないんだと。自分の引き出しにはないものを、確かめてみる気が、受け入れてみる気がないんだと。何を言っても、「言い訳」、「自己弁護」の一点張り。結局のところ、理解する気も、信じる気もさらさらなかったみたい。
それからは、だんだん、真剣に話すのがバカらしくなって、答えることもいい加減になった。それが余計に相手の「信じられない」気持ちを増長させてしまった。それでも、やっぱり責められれば自分が悪いのかな、と思って必死になってしまう。で、見事に玉砕。いつも木っ端微塵。だんだん、本当にどうでも良くなってきた。信じてもらおうと思うことが間違っていたんだ、そう思った。
たぶん、私にも非はある。相手に信じられない、と思わせるようなことがあったんだろうと思う。ハッキリ具体的な何か例を挙げてくれたわけじゃないので、よくわからないけど。でもね、やっぱりね、そういわれ続けるのって寂しいのよね。そう思うなら、最初から付き合おうなんていわないで欲しいよ。付き合い続けないで欲しいよ。最後に貴方から別れようって話をしだしたときに、結論を翻さないで欲しかった。自分のことを棚に上げて、といつもいうけど、私には相手も自分のことを棚に上げてるとしか思えない。結局お互い様じゃない。じゃあ、信じることを選んだ方が楽だと思う、私はそう思う。
信じる、信頼するっていうのは、相互の努力があってはじめて行えることは百も承知である。けど、私の『信じる』ことの基本スタンスは「自分」にある。一歩間違えるとマヌケと紙一重になってしまいそうだけど、信じるというのは他力本願な行動ではないと思う。自分が信じる気があるかどうかが究極かなんじゃないかと思う。相手が信じられないと思った時、それは自分の中にあるものが判断を下しているのであって、「信じられない」理由を相手に持たせるのは筋違いなのかなぁと思う。その相手を『信じる』ことにしたのは自分だ。『信じる』相手としてその人を選んだのは自分だ。そう思う。
もちろん、相手にまったく非がないとはいわない。信じるに値しない言動を相手がしたがゆえに、信じられなくなることはある。信じられるに足るだけの生き方をしている必要もあると思う。信じるに値するかどうかという判断は必要だと思う。
けど、その判断基準がどこにあるか、が問題なんだろう。何を基に『信じる』に値すると判断するのか。何を基に「信じられない」と判断するのか。相手がどうあろうが、「信じた」というその行為は、あくまで自分の問題だと思う。
普通、人は「信じ」られている、信頼されている、信用されていると感じたら、それに答えようとするものだ。逆もまた然り、なのではないかと思う。
「信じる」ためには、相手を理解することが必要だと思う。自分のモノサシで見るのではなく、相手のモノサシで相手を推し量ることが必要だと思うのだ。なぜって、人はいつも表面に出てくる言動がすべてではないから。内に秘めた別の思いがあるから。だから、相手を知ることが必要なんだと思う。
「信じられない」理由を、貴方が悪いんだ、と言うのは私は大嫌い。言われるのも大嫌い。何があろうと、「信じる」ことを選んだのは自分なんだから。好きだと思った相手を「信じられない」とアッサリ言ってしまうことは私にはできない。自分が愛した人だから。
信じられないなら、最初から付き合うって言うなよな・・・・。「信じられない」って面と向かっていえる相手と2年も一緒に過ごした貴方は、何のために私と付き合ったんだよ。同情かよ?親切の押し売りかよ?自己満足のためかよ?
それでも好きだからって、別れなかった自分が一番バカだよな・・・。