11月3日
オットと一緒に京都へ紅葉見物に。
と思ったら、紅葉してない・・・Σ(|||▽||| )
ちらほら、中途半端な紅葉はあるものの、なんというか・・・。
素敵に緑が濃いんですけど。
1.東本願寺
どうしても、「東本願寺」と「東大寺」と言い間違えて、
東大寺は奈良や!と散々ダンナに突っ込まれた私。
そのうち、オットにもうつって、オットも「東大寺」と。ぶわはははは。
東本願寺は、真言宗大谷派の本山。
阿弥陀堂
東本願寺正門
阿弥陀堂の前でたたずんでいた黒猫ちゃん。
どうも右目が悪いらしい。
人に慣れているのか、全く動じない。
お清めの水のところ。お寺でもこういうのあるのね。
神社だけかと思ってた。
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立派などくろを巻いた龍が威嚇してるよ・・・ママン、コワイヨ
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次の場所へ徒歩で移動中に見つけた南天。
もしや万両?私には区別が付かない・・・
これもまた歩いてる途中に見つけた古めかしい建物。
なんとなく撮ってみたくなった。
2.渉成園 -枳殻邸(きこくてい)-
東本願寺の飛び地境内(別邸)だそうな。
天皇の休憩所としても使われたことがあるため、馬車回し(ホテルの玄関前のロータリーみたいなもの)もある。
この枝だけ紅葉してるもみじ。
全体的にもみじは真緑。秋なのに・・・。
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あまりに紅葉が少ないので、
雰囲気だけでも。
石の上に、赤い葉がひとひら。
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写真左手建物が
滴翠園。
写真正面の
灯籠のようなものが、
檜垣の灯籠。
傍花閣
1892年(明治25年)再建。
庭園内にはめずらしい楼門作りというものらしい。
ここは、春の桜の季節の方がキレイらしい。
侵雪橋
北大島から望む。
縮遠亭
1884年(明治17年)頃再建。
写真右手
源融ゆかりの塔
源融は嵯峨天皇の皇子で源の姓を賜って臣籍に下った人。
源融の供養塔。渉成園が出来る前からここにあったといわれている。
手前の池は
印月池
漱枕居
1865年(慶応1年)頃再建。
旅路にあることを意味する「漱流枕石」の語からとられた名前。
印月池右手にある。
印月池の松
印月池
漱枕居側
塩釜
縮遠亭の建つ築山の北麓にある。その形が塩釜とそれを屋根で覆う塩屋に似ていることから付いた名前。
縮遠亭で茶会が催されるときの水源といわれている。
回棹廊
・・・の内側。(笑)
1884年(明治17年)頃再建
安政の大火(1858年)の消失以前は朱塗りの欄干を持つ反橋だったらしい。
紅葉のかけらもないもみじ・・・
ささやかな紅葉
ハマナス?
ハチが蜜集め、してました。
3.ぶらり祇園
渉成園へ行った後、鴨川で手作りお弁当。
おにぎり2種類と、漬物、卵焼き、水菜のベーコン巻きという超手抜き弁当。
やっぱり、鴨川ってカップルが多いのねー。
お昼ご飯の後は、知恩院と高台寺へ行こうということで、
祇園の花の小路をぶらぶらしながら移動。
たわわになった南天。
か、万両。
どっちなんでしょう・・・
控えめな紅葉
祇園の横道。
祇園の通りすがり。
京都っぽいねぇ~
4.鷲峰山 高台寺・ねねの道
夫のリクエストで、知恩院の前に高台寺へ行くことに。
秀吉の正室、ねね(高台院湖月尼と号す)が、1606年(慶長11年)開創した寺。
現在は、国の重要文化財に指定されている。
高台院という号は、1588年(天正16年)に従一位に叙せられた後、
1603年(慶長8年)に後陽成天皇により賜った号。
小さな風景を切り取ると、秋を感じられるのだけど。
遺芳庵
高台寺を代表する茶室
写真左手
開山堂
写真中央奥
霊屋
霊屋の地下2メートルのところには、高台院の遺体(土葬)が眠る。
ここの正面の扉は、秀吉公の墓の方へ向いて開くように作られているらしい。
これも紅葉なのかな?
臥龍池(たぶん・・・)
臥龍池
臥龍池
臥龍廊
屋根の反りが、龍の背中に似ていることから名付けられたらしい。
臥龍廊
写真左手
開山堂
臥龍廊
屋根が傾いてて危険だからか、ここを通る事は出来なかった。
ここをまっすぐ行くと霊屋へ辿り着く。
これも寒椿?
ちいさい秋。
JR京都駅を降りてから、ここへ行くまで、バスもタクシーも地下鉄も使わず、ずっと歩きっぱなし。少々へたばって、知恩院諦める。(笑)
紅葉にはちょっと早かったけど、和を感じる時間を過ごせて楽しかった。
別館